下北沢の変遷—60年前の風景と今をつなぐ記録

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東京都世田谷区に位置する下北沢(通称「シモキタ」)は、若者文化やアンダーグラウンドの音楽シーンが栄える独特の雰囲気を持った街として知られています。しかし、この街もまた時代と共に大きく変貌を遂げてきました。最近では小田急線地下化に伴う大規模な再開発が進み、昔ながらの商店街や個人経営の店舗が次々と姿を消しています。今回、私が手に取った「60年前の東京・日本」という写真集には、そんな下北沢の過去の風景が写されていました。

過去と今をつなぐ一枚の写真

この本に掲載されていた1959年12月13日の下北沢の写真には、現在の「下北パークフロント」が建設されている場所が写っていました。下北沢3号踏切から撮ったと思われるこの写真ですが、当時はまだ、この付近には古い民家が立ち並び、その穏やかな住宅街の様子がうかがえます。しかし、その民家も現代の再開発によって徐々に取り壊され近年はマンションが増えています。また、大きな変化としては、やはり線路が地下化したことで、現在では線路街や公園(雨庭広場、のはら広場)に変化したことだと思います。このように、街の風景はわずか数十年の間で劇的に変化してきたのです。

写真には、当時走っていた小田急線の特急「芙蓉」号の姿も写っており、これは今の「ふじさん号」に繋がる列車です。この「芙蓉」号は、御殿場線に乗り入れていた特急列車で、鉄道ファンにとっては懐かしい光景でしょう。街並みと共に、こうした交通インフラも進化を遂げていますが、写真を通して過去の姿を垣間見ると、時代の移り変わりを感じずにはいられません。

下北沢の再開発

下北沢は、1960年代から80年代にかけて、若者向けの文化やライブハウス、劇場が集まるサブカルチャーの聖地として栄えました。しかし、近年の再開発により、駅周辺の大規模な工事が進行し、商業施設や公共スペースが整備されることで、街の風景が大きく変わっています。例えば、「下北パークフロント」の一体の線路街は、小田急線地下化の一環として整備されたもので、昔の下北沢を知る人々にとっては、驚くほど近代的な景色となっています。再開発が進む中でも、下北沢の個性をどのように守り続けるかが、今後の課題となるでしょう。

変わりゆく街の未来

60年前の写真と現在の下北沢を比べてみると、街の変化は顕著です。しかし、こうした変化は必ずしも悪いことばかりではなく、新しい時代に合わせた進化の一環でもあります。商業施設の整備や交通の利便性の向上は、住民や訪問者にとって生活を豊かにする要素でもあります。

下北沢の将来を考えると、どのようにしてこの独特のカルチャーと歴史を守りながら、時代に適応していくのかが重要です。再開発が進む中でも、下北沢らしさを残しつつ、未来に向けてどのように発展していくのか、街全体が楽しみな時期に差し掛かっていると言えるでしょう。

このように、60年前の下北沢の姿と現代の風景を比較することで、変わりゆく東京の一部としての下北沢の魅力を再発見できました。そして、この街がどのように進化していくのか、その未来を見守ることが楽しみです。

↓本にも写っていた民家。

↓2013年の小田急線地下化前の下北沢3号踏切

「続・秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本」(アマゾン)


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