戦時中の代田連絡線跡を辿ってみた

Advertisement

小田急線と井の頭線を第二次世界大戦時中に繋いでいた代田連絡線。

代田連絡線は、1945年5月の戦火で大半の電車が被災した帝都線(現在の京王井の頭線)に小田急線から電車を送り込むため急遽敷設された線路です。
当時の線路跡はほぼ残っていないのですが、世田谷代田駅北側の通路はその代田連絡線を模ったデザインということなので見に行ってきました。

↓新しくできたこの通路を代田連絡線が通っていたということだと思います。

↓現在の通路は、温泉旅館「由縁別邸 代田」に向けてやや南側に折れますが、代田連絡線の線路は北側に向けてカーブをしていたと思われます。

そのカーブの跡が↓の杭ではないかと想像しています。今は民家があってその先の様子は分かりませんが、76年前にはここに臨時の線路が敷設されていたのですね。

第二次世界大戦というのは、繰り返してはならない過ちの題材として良く取り上げられるテーマです。
後から思うと何であんな愚行を当時の人たちはしてきたのだろうと思っていたのですが、今のコロナを取り巻く政府の対応、人々の対応を見ていると歴史は繰り返すのだな、あの頃と何も変わっていないんだなと思わざるを得ないです。

日本における意思決定のあり方、日本人の気質に問題があると思わざるを得ません。
意思決定プロセスの曖昧さ。責任者の不在。一般市民の従順さ。。。

これらは日本という社会が縄文時代から過去連綿と築き上げてきたものであり、そう簡単に変える事は難しいと思うので、こういうことはこの先もずっと続いていくのだと思います。


世田谷区の人気ブログランキングはこちらです
にほんブログ村 地域生活(街) 東京ブログ 世田谷区情報へ

Advertisement
Ad
Ad

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

Advertisement