下北沢を横断する補助54号線の不可思議

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【2022/3/3 追記】

この記事を書いてから9年が経過しました。
9年の間に、下北沢駅前と線路跡は大きく変わりました。

そして、駅前広場と補助54号線はまだ完成せず、令和10年度の完成予定という風に延期となっています。
駅前広場はまだしも、補助54号線の巨大道路は個人的には完成して欲しくないです。

果たして、あと10年後にどうなっているのか。。。

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先日から当ブログにおいて、下北沢中心を通る予定の補助54号線について書いていますが、自分の中でまだ消化し切れない所があるので、再度書きます。

まず、具体的にどれくらい巨大な道路が下北沢を貫通するのか、ネットで調べるとグーグルマップに補助54号線の道路の幅を書いているサイトが見つかったので画面キャプチャしてみました。

かなり巨大な道路が出来るというのがお分かりになると思います。

当然、現在はお店が立ち並んでいるので、これらを取り壊して道路を作ることになります。

個人的にはこの道路が出来る事には反対です。理由としては、
・道路を作る根拠、必要性がはっきりとしない(行政含め)
・道路を作ることによる下北沢全体のビジョン、都市計画が無い(単に道路が通るだけ?)
・既存の街並みの破壊、そしてクルマ優先の街への変貌

ネットを調べてみると面白いページを見つけました。

TBSの森本毅郎のスタンバイという番組で、10年ほど前にこの下北沢道路問題を取り上げて、その時の取材ノートのようなものがウェブで見られるのですが、その中で、
『(補助54号線が)このルートである必然性について、区の担当者の方に伺うと、

「過去にどのように決まったのかは知らない。行政の基本は継続、一貫性が重要。この道路計画は反対派が生まれる前から決まっている。一度決まったことは決して変えることは出来ない。変えてはならないもの。都市計画で決まっているのだから。行政に停滞は許されない。手続き上、法的に瑕疵はないのだからこのまま進めることに何ら問題はない。それを問題があるかのように言う反対派はおかしい。」』

最初の計画が昭和21年、その後何度か手直しされているものの、基本的な構想は昭和21年のまま、だそうです。

しかも、区の担当者は過去にどのようにこの計画が決まったのか知らないし、単に過去にそう決まったからやる、という姿勢なのです。

計画ができた昭和21年と現在とでは、何もかも大きく異なります。社会情勢も異なりますし、昭和21年の終戦当時、現在のような下北沢カラーがあったとは思えません。

戦後何十年にわたって少しずつ形作られてきた現在の下北沢を昭和21年に決まったから何が何でも道路を作る、というのはあまりにも無謀すぎます。

この計画に何らかの合理性や納得できる説明があれば分かりますが、「道が狭く、防災上懸念がある」のであれば、シモキタのすべての道路を幅広に見直す必要があると思うのですが。。補助54号線を作ったからといって防災上の懸念はほとんど解決されないと思います。

下北沢は今はクルマはあまり入ってきませんし、道が狭いのであまりスピードが出ませんが、このような大きな道路が出来るとクルマが主役になってしまいます。

例えば、現在計画されている道路のうち、大きなものとして大泉学園~世田谷間の外環道がありますが、これは都心に流入するクルマの多くが、環状道路がないために無駄に都心に流入しているのを防ぐ目的で建設されるため、意味があると思いますが、この補助54号線は果たして本当に意味がある計画なのか・・・大きな疑問があります。


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